本日(2011.6.11)、早稲田大学オープン教育センター「公共経営入門講座」で、当会のこれまでの活動を紹介し、学生の皆さんに今後目指してほしい公共活動に関してお話してきました。
講義に使用した説明資料は、こちらに掲示しています。
講義内容の骨子は、以下のとおりです。
1.これからの社会を創造し、変革していくのは、市民が主役の時代になった。
このことは東日本大震災で証明された。行政や政府に期待していても動かない。市民が動き、行政を動かしていかないと、私たちの生活やこの国の未来は守れない。
特に学生の皆さんには、この国の未来を考え行動する時間があるので、是非今日の講義をキッカケに、身近なことから感動(何かを感じて、問題を調べ、課題を考えて、行動する)してほしい。
2.経済成長の影で、知らないうちに馴染んだ贅沢な暮らしを、若者の視点で、見直す時期に来た。
福島第一原発問題の影響で、国民の節電意識が劇的に変化した。これまで街中の照明や広告、電車やオフィス、商店の冷房、エスカレータ等の移動手段等、経済成長の恩恵で、便利で快適な社会が構築されたが、これらは逆言えば、運動の機会や体温コントロール機能を退化させる要因とも考えられる。
このような知らず知らずのうちに贅沢が浸透した社会は、例えると糖尿病に冒されたようなもの。この贅沢は、子供たちから借りたお金で、親たちがすき焼きを食べているようなもので、まさに学生の皆さんが、今、真剣に考え行動していかないと、親の食べた「すき焼き代」を、将来「お茶漬け」をすすりながら、働いて返しつづけることになってしまう。
このため、今日の私の講義を契機に、この国の未来のため、市民の将来の生活のために、感動してくれる仲間が増えることを期待している。
3.街の未来は市民が責任をもって、考え切り開いていく必要がある。
市長は、4年に一度選挙の洗礼を受けるため、長期的な視点で、持続可能な社会を実現するために、市民に苦渋を与える政策を実行することは難しい。(これはその街の有権者のレベルに影響する問題であるが、一般的には、4年間の短期的な成果で評価されている。)
また市の職員の方々も、市役所は職場であり、自分は他市で生活している人も多い。このため、その市の財政が悪化し、給与が減ることはあるが、自分の生活の場には影響をしない。所詮他人事の話になってしまう場合がある。
このような点を考えると、自分たちの生活の場や家の土台を守るのは、そこで生活している市民が、自分の家庭を守るのと、同じくらいの責任感で、地域活動をしていく必要がある。
また市の行政運営者である市長や議員の選挙では、その立候補者の短期的な政策だけでなく、長期的な財政への考え方や責任感も十分に考慮した上で、必ず投票を行うことが重要である。
。
4.行政改革の成果として市の業務を民営化しても、そのコストが単純に上乗せされたのでは、意味がない。
市の職員の皆さんは、地方公務員法で、その雇用や労働条件(よっぽどでないと解雇できず、降格も困難)が保護されている。このため、例えば学校給食や保育所の民営化を進めることは、市民へのサービス向上と国からの補助金等を考えると市の財政的にも好ましい面があるが、専門職として採用した調理師や保育士の方々を民営化の代償としてリストラすることはできないので、別の職場で有効活用する必要がある。
この有効活用ができないと、結果として民営化をして、サービスのコストは削減できたが、市全体としては人件費に変化がないので、その民営化した分だけコストが増加したことになってしまう。
かといって、市の職員の平均年収が800万円を超えている状況で、民間であればその半分のコストでもできる仕事を継続していることは税金の無駄使いである。このような業務は民間委託を進める一方で、如何にその年収に見合った仕事で能力を発揮してもらうかが、行政経営上の大きな課題である。
ただ、これには、旧態依然として、組合や議会との関係を調整が必要になり、なかなか断行できないという問題をはらんでいることも考えておかなくてはならない。
5.公共投資を止めて、社会福祉に注力し続ける社会では、不便な暮らしと莫大な借金が待っている。
近年、行政や議員と、業者の癒着の問題から、公共設備(インフラ)投資は批判されてきたが、この投資の結果、子供たちに便利で安全な社会基盤を残すことができてきた。
しかし現在の行政では、高齢化社会の進展による老人医療費や、景気低迷の影響による生活保護費等の社会福祉関係の費用が大幅に伸びており、自主財源として有効に活用できる予算は極めて少なくなっている。
これは、民主党が衆議院選挙で言っていた「コンクリートから人へ」で代表されるが、「コンクリート」への投資は、借金も残るが、その後50年以上にわたり子孫が有効活用ができる。しかし「人」への投資は、その人によって消費され、将来の子供たちには、借金だけが残ってしまう結果になる。
この「人」への投資は、人間の命や尊厳、人道的な視点からもとても重要な事項で、お金には替えられないものだが、社会福祉はいま生きている人へのサービスなので、今の人が税金で負担するようにしないと、将来皆さんが大変な借金を抱えてしまうことになる。
このため、将来を担い皆さんが、今のうちに、真剣に考えておかないといけない自分たちの大きな課題である。
6.みんなが「割り勘負け」しないように飲食していたら、追加料金を支払う必要が出てくるぞ。
市のサービスで受給してもらえるものは何でももらおうとすると、その分の負担は私たちの税金や子供の借金で賄わなくてはならなくなってしまう。
例えば、子供の医療費が無料だからといって、軽い打撲でも直ぐに病院にいって、シップ薬をたくさんもらってくる。働けるのに、楽していたいから生活保護の受給を受けつづける。マッサージ券が支給されるからといって、必要もないのにマッサージを受ける。
こういったことをみんなが行っていると、この「つけ」は、真面目に働き納税している市民や、知らないうちに借金が積み上げられる子供たちに負担が増していくばかりか、さらに追加の費用を支払う必要がでてくる。
ひとりひとりの市民が、同じ社会の仲間として、受給だけでなく、奉仕の気持ちをもって、「必要のない行政サービスは使わない」、「自分たちができる公共サービスは行政コストを使わないように自分たちで行う」等を実行していかないと、このままでは「割り勘負け」どころか、「食事ができない」状況に陥ってしまう可能性がある。
是非、これからの市民生活のあり方(自分のことはなるべく自分でやる)や、社会福祉の方向性(大きな政府か小さな政府か)を考えてほしい。
少し刺激的な表現で、学生の心に感動を与えたいと力説しましたが、講義終了後約10名の学生の方が真剣に質問してくれたことは、さすが早稲田大学の学生だと、嬉しくこころ強く感じました。
今後感想文を提出して頂けるとのことですので、楽しみにしています。
以上
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